卒論の結論がでない場合。どうしたらいい?
学生生活に関して、学業の部分でのクライマックスと言えばなんと言っても卒業論文でしょう。もうすでに取り掛かっている学部生もいらっしゃるかもしれませんが、論文執筆の各段階においていろいろ試行錯誤されていらっしゃるかと思います。これらの試行錯誤を経て、最終的に行き着くのが卒論の「結論」ということになります。この結論部分に関しては、卒論のエッセンスが総括かつ集約されており、この結論の良し悪しが論文の質を決定的なものにするといっても過言ではありません。でも、この「結論」に関してはなかなかの難敵なのです。「結論なんていうのは、本論の内容を整理すればいいだけで、本論ほど苦労はしないだろう」とタカを括っていると、足元を掬われてしまう羽目になってしまいますので用心してください。その証拠に、「あれれ、本論までなんの支障もなく展開することができたんだけど、結論の段階で詰まってしまった。むしろ、結論がでなくて迷っている。」と悩みを打ち明ける学部生も毎年多く観察されます。そんな悩みを抱える学部生は、卒論における「結論」に対して、もしかしたら少し的ハズレな考え方をしてしまっているのかもしれません。そこで、この記事は、そんな学部生から無用な心配や悩みを少しでも解消すべく、「卒論に結論がでない場合はどうすればいいのか」に焦点を当てた内容となっております。この記事を最後まで読んでいただくことで、卒論における「結論」に関する正しい理解につながり、ひいては卒論の質の向上にも貢献できると自負しておりますので、どうか最後までお付き合いの方よろしくお願い申し上げます。
卒論の結論が出ない主なパターンの分析とその対策
まずは卒論の結論が出ないパターンについて考えていきたいと思います。結論が出せない場合のパターンとしては大きく次の3パターンに列挙されるでしょう。そして、それぞれのパターンごとにどのように対処したら良いのかに関しても一例を提示していきます。
結論が出せないパターン1:相反する結論が2つ以上出てしまう
細部の事象
通常、結論においては、本論で展開した実験結果やそのデータに基づいて、自分なりの解釈である「考察」を踏まえて導出します。データ等については1つしか通常は存在しないので問題ありませんが、その1つのデータに関しても考察の仕方によってはそのデータが意味する内容が全く異なってきます。すなわち、学部生はこのデータ等に関してはどのように解釈するのが正しいかと言うことに悩んでしまって結論が出せないと言うことです。例えば、改良した100個のリンゴのうち51個が改良前よりも良い品質であったというデータを得られたとしても、「改良の成果があった」という結論にすればいいのか、それとも「改良してもほとんど効果がなかった」という結論にすればいいのかということで悩んでしまってしまうのです。
この事象に対する対処法の一例
まずは、卒論執筆者としての腹を決めることです。先ほどのリンゴの事象に関しては、どちらの結論でも間違いではありません。要するに、データに対する解釈は、きちんとした前提・主義・主張があれば論文執筆者の自由なのです。そのため、論文執筆者として、「自分はこのような前提・主義・主張を元に、データをこのように解釈(考察)する。よって結論はこうである」との断固とした矜持を持てば、結論を出せないということは無くなるはずです。また、このような場合は、なぜこのように解釈(考察)したのかをきちんと記載しておくと、結論の質の向上を図ることができます。
結論が出せないパターン2:そもそも結論を導き出せるようなデータが揃っていない
細部の事象
データに基づいた解釈(考察)の結果が結論でありますが、不幸にも研究時間が足りなかったり、途中で予期せぬことが発生してデータが揃わず、思うような解釈(考察)が十分にできないといったことなどです。
この事象に対する対処法の一例
この場合は、取得できていないデータに関して仮定をかましてみるのも一案です。たとえば、「今回の研究ではこのデータを取得することができなかったが、仮にこの未取得のデータがこれくらいの値になれば、このように結論づけることができる。」などです。そのような未取得データの仮定から得られた結論も、立派な結論であることに変わりません。また、このような場合は、「なぜ、取りきれなったデータが発生してしまったのか」ということを「今後の課題」として論述すれば、再現性が高く非常に有用な論文となり得ます。
結論が出せないパターン3:当初思い描いた結論と異なる
細部の事象
例えば、改良を施せば効果があるとの前提で、改良前と改良後のリンゴを分析したところ、数的には、改良前のリンゴの方が改良後のリンゴよりも質が良いとのデータが出てしまったなどです。
この事象に対する対処法の一例
当初の思い描いた結論と異なった結論であったとしても何も卑下することはありません。世間一般の常識とは異なることを客観的に示すデータが案出されたのですから、むしろ喜ぶべきなのです。そこにこそ研究の醍醐味があることを忘れずに、データを素直に解釈(考察)した結論にすればいいだけのことです。この際、当初思い描いた結論と一致させるために、データ等を改竄する行為だけは絶対に禁物です。
さいごに
いかがだったでしょうか。この記事がこれからデータを元に結論を導きだそうと懸命に励んでおられる学部生に対して少しでもプラスになればこれに勝る喜びはございません。今回も最後までご覧いただき本当にありがとうございました。